呪文のように繰り返された言葉
「安定した仕事に就きなさい」。
この一言を、親から何百回、いや何千回聞いただろうか。大学4年の就職活動中に聞き、就職できないまま卒業した春に聞き、派遣で働き始めた夏に聞き、契約が切れて次の仕事を探していた秋に聞き、30歳になった誕生日に聞き、35歳の法事の場で聞き、40歳の帰省でも聞いた。20年間、同じ言葉を繰り返し聞かされた。お経のように。呪文のように。
親に悪気はない。子どもの将来を心配して言っている。「安定した仕事」つまり正社員、できれば大企業。それが子どもの幸せへの最短ルートだと、親は信じている。その信念は、親自身の人生経験に基づいている。親の時代ではそれが正しかった。親は正社員として勤め上げ、年功序列で昇給し、退職金をもらい、年金で暮らしている。このモデルが機能していた時代の親にとって、「安定した仕事に就く」ことは、幸せへの必要条件だった。
だが時代は変わった。正社員の椅子が足りなくなった。就きたくても就けない人間が、大量に生まれた世代がいる。それが私たち氷河期世代だ。
親はこの変化を、実感として理解できない。親自身は椅子に座れた世代だから。「座りたければ座れるはず」と思っている。座れないのは本人の努力不足だと。この認識のズレが、20年間の悲劇を生んだ。
就職活動中に聞いた「安定」
最初に「安定した仕事に就け」を本格的に浴びたのは、大学4年の就職活動中だ。
エントリーシートを書いている私の横で、母が言う。「公務員とか、どうなの」。父が言う。「銀行とか、やっぱり安定してるぞ」。
公務員。銀行。大手メーカー。保険会社。親の口から出てくる「安定した仕事」の候補は、どれもエントリーシートの時点で大量の学生が殺到する人気業界だった。倍率100倍、200倍の世界。その難関を突破できる学生は、ごく一部だ。
私は、ごく一部ではなかった。何社受けても、書類で落ちた。エントリーシートの段階で門前払い。学歴フィルターという存在を、就活中に初めて知った。親世代には存在しなかった、あるいは存在していても今ほど強固ではなかったフィルター。このフィルターで、多くの学生が振り落とされていた。
親はフィルターの存在を理解しない。「もっと頑張れば大丈夫だ」と励ます。励ましは善意だが、的外れだ。頑張りの量ではなく、そもそもの門が狭くなっている、という構造的な問題を、親は把握できない。
100社落ちた。親には50社くらいしか落ちていないと報告していた。全部正直に言うと、心配しすぎるから。50社でも十分に心配させていた。「どこか受かるところがあるはずだから」と、父は毎晩新聞の求人欄を見ていた。その姿を見るのが、一番つらかった。
卒業後の「安定」圧
卒業しても就職が決まらなかった。親のプレッシャーは、ここから本格化する。
「とりあえず派遣でも」と私が言うと、親は明らかに落胆した。「派遣は安定してないでしょ」「派遣だと結婚も難しいんじゃない」「何年くらい派遣でやるつもりなの」。矢継ぎ早の質問。質問の形を取っているが、実質は非難だった。「なぜ正社員になれないのか」という非難。
派遣として働き始めた。給料は手取り14万円。実家暮らしではなく一人暮らしだったから、生活はカツカツ。だが働いていることは働いている。親には「一応、働いてるから」と報告した。
親の反応は、「それ、いつまで続けるつもりなの」だった。「早く正社員の仕事を見つけなさい」。見つけたい。見つけたいが、見つからない。正社員の中途採用は、ほぼ経験者向け。派遣経験しかない私が応募しても、通らない。この現実を説明しても、親は「諦めるな」と言う。諦めていない。諦めていないからこそ、派遣で食いつないでいる。完全に諦めたら、ニートになっている。
親の「安定した仕事に就け」は、私にとって「諦めずに挑戦し続けろ」と同義だった。だが挑戦は、無限のエネルギーを必要とする。エネルギーは有限だ。私のエネルギーは、毎日の生活を維持するだけで半分以上消費される。残りのエネルギーで、正社員への挑戦を続ける。これがどれほど消耗するかは、経験者にしかわからない。
30代、諦めと続行の間で
30代に入ると、親の「安定した仕事に就け」は、少しトーンが変わった。
「結婚するなら安定した仕事じゃないとね」。
結婚が絡んでくる。この年齢になると、親は孫がほしい時期に入る。子どもが結婚して家庭を築くことが、親の人生の「仕上げ」だと認識されている。その仕上げのためには、子どもが経済的に安定していることが必要条件。だから「安定した仕事に就け」は、結婚への前提条件として再登場する。
私は結婚する気があったかというと、あった。あったが、経済的に無理だった。派遣の手取りで二人暮らしをして、子どもを育てる。どう計算しても無理だ。だから結婚を現実的な選択肢として考えられなかった。
これを親に説明しても、納得してもらえない。「今の若い人は考えすぎ」「なんとかなるもんだよ」「お父さんだってそんなに給料よくなかったけど、結婚したんだから」。
「お父さんだって」の部分が問題だ。父が結婚した時代と、今の時代は違う。父の時代は、低賃金でも正社員なら終身雇用が保証されていた。将来的には給料が上がることが見えていた。住宅ローンも組めた。だから「今は給料が少なくても、いずれは」という見通しで結婚できた。
今は違う。非正規に終身雇用はない。将来的に給料が上がる保証もない。住宅ローンは組みにくい。「いずれは」の見通しが立たない。結婚に踏み切るためには、見通しが必要だが、その見通しがない。
親に説明しても、この構造的な違いは伝わらない。「昔だって大変だったんだ」と一蹴される。大変だったのは事実だろう。だが大変さの種類が違う。親世代の大変さは「耐えれば報われる」タイプの大変さで、私たちの大変さは「耐えても報われない可能性が高い」タイプの大変さだ。同じ「大変」でも、先の見え方が違う。
40代、諦めたのは親のほうだった
40代に入ると、親の口調がまた変わった。
「体だけは大事にしなさい」。
「安定した仕事に就け」が、「体を大事に」に置き換わった。これは親が諦めたサインだ。もう正社員にも、結婚にも、安定にも、期待していない。ただ、体だけは壊すなよ、と。
この変化に気づいたとき、複雑な気持ちになった。
プレッシャーが減って、楽になった部分はある。毎回の帰省で「安定した仕事に就け」を聞かなくて済む。これは正直、気が楽だ。
だが同時に、「諦められた」という寂しさもある。親が自分に期待しなくなった、という事実。もう可能性がない人間として扱われている、という感覚。期待は鬱陶しいが、期待されなくなるのはそれはそれで寂しい。
親が諦めた理由は、おそらく二つある。ひとつは、現実を受け入れるしかなくなったから。私がこの年齢まで正社員になれなかった以上、もう正社員にはなれないだろう、と親も理解した。ふたつは、親自身が高齢になり、子どもの将来より自分の健康のほうが切実になったから。孫を抱きたいという願いより、自分が大病をしないでいられるかのほうが、目の前の問題として大きい。
諦められて楽になる。期待されなくて寂しい。この矛盾した感情を抱えながら、40代の帰省を過ごしている。
20年分の罪悪感
「安定した仕事に就け」を20年間言われ続けて、私の中に残ったものは、罪悪感だ。
安定した仕事に就けなかった自分への罪悪感。親の期待に応えられなかった自分への罪悪感。親を安心させてあげられなかった自分への罪悪感。親を老後まで心配させ続けた自分への罪悪感。
この罪悪感は、20年間の親の言葉の堆積物だ。親は悪気なく、善意で言っていた。だが善意の言葉が毎日少しずつ降り積もると、受ける側には重い層になる。20年分の層は、もはや動かせない地層だ。
この罪悪感は、自己責任論とは別のルートで、私を内側から蝕んできた。自己責任論は社会から浴びた外的な圧力だ。親の「安定」圧は、家族という最も内側の場所から湧いてきた内的な圧力だ。内側からの圧力は、外側からの圧力より効く。逃げ場がないから。
「親にこんな人生を歩ませてしまって申し訳ない」。この感情が、40代になった今も消えない。消えないまま、親は高齢になっていく。このまま親が亡くなったら、私は一生、罪悪感を抱えたまま生きていくのだろう。
親を責める気にはなれない
こう書くと、親を責めているように聞こえるかもしれない。だが親を責める気にはなれない。
親は、親の時代の常識で、子どもの幸せを願ってくれた。その願いが的外れだったのは、親のせいではない。時代の変化を予測できなかっただけだ。時代の変化を予測するのは、専門家でも難しい。一般の親にそれを要求するのは酷だ。
親は、自分の時代の「正解」を、子どもに伝えた。それは親なりの親切だった。正社員になれば幸せになれるよ、という情報は、親自身の経験則に基づいた真心のアドバイスだった。そのアドバイスが結果的に子どもを追い詰めることになったのは、親の責任ではない。
むしろ責任があるのは、時代の変化を放置した社会のほうだ。就職氷河期という構造的な問題を放置した政治、企業、経済。これらが生んだ歪みが、家族の会話の中に「安定した仕事に就け」というミスマッチを生んだ。家族内の摩擦は、もっと大きな社会構造の反映だ。
それでも、親は親なりに傷ついている。子どもが望むような人生を歩めなかったこと。子どもに「安定した仕事に就け」と言い続けたのに、就けさせてあげられなかったこと。親も親で、自分の中に無力感や罪悪感を抱えているはずだ。
親の罪悪感、子どもの罪悪感。互いの罪悪感が向き合いながら、それを口に出すことはない。口に出すとお互いに傷が深くなるから。黙ったまま、お茶を飲み、食事をし、たまに帰省する。この沈黙は、家族の優しさでもある。
親世代に伝えたいこと
このエッセイを、氷河期世代の親世代にも読んでほしいと思う。
もし今、40代、50代の子どもに「安定した仕事に就きなさい」と言い続けている親がいたら、一度立ち止まってほしい。その言葉は、子どもに届いているか。届いているとしたら、どのような形で届いているか。
親の言葉は、励ましにも、呪いにもなる。40代、50代の子どもは、20年、30年、自分なりに生きてきた。その人生を肯定も否定もせず、ただ今の状況を受け入れる言葉が、最も届く。
「安定した仕事に就け」の代わりに、「あなたなりに頑張ってきたね」と言ってほしい。「結婚しなさい」の代わりに、「一人で生きるのも立派だ」と言ってほしい。「もっとしっかりしなさい」の代わりに、「ここまで生き延びただけで十分だ」と言ってほしい。
もちろん、親も不安だろう。子どもの将来、自分の死後の子どもの生活。不安だから、つい「安定」を求めてしまう。その気持ちは理解できる。だが不安を口に出す前に、一度飲み込んでほしい。飲み込んだ上で、「あなたは大丈夫だよ」と言ってあげてほしい。根拠がなくてもいい。親の「大丈夫」は、子どもにとって世界で最も強い言葉だから。
呪文の解除
20年間の呪文は、最近やっと解除されつつある。
親が「安定した仕事に就け」を言わなくなったからだけではない。私自身が、この言葉の重みを客観視できるようになったからだ。
「安定した仕事」は、存在しないかもしれない。大企業の正社員でもリストラされる時代だ。公務員は比較的安定しているが、絶対ではない。「安定」という概念自体が、揺らいでいる。
安定していない中で、どう生きるか。これが私たち氷河期世代の本当の課題だ。「安定した仕事に就く」ことが不可能な前提で、それでも生き延びる方法を模索する。それは親世代が経験していない、新しい生き方だ。
親の呪文は、親世代の常識を前提にしていた。その常識はもう通用しない。新しい常識は、私たち自身が作るしかない。不安定の中で、小さな安心を見つけていく。大きな保証がない中で、日々の満足を積み重ねていく。これが、呪文の解除後に残る、新しい生き方だ。
親に「安定した仕事に就け」と言われ続けた20年間。あの20年間は、何だったのか。呪縛だったのか。励ましだったのか。わからない。わからないまま、親の高齢化が進む。いつかこの対話も終わる。終わる前に、親に一言伝えたい。
「言ってくれてありがとう。でも、安定してなくても、大丈夫だよ」。
この一言が、言えるかどうかは、わからない。言えなくても、心の中で言っておく。心の中の言葉も、たぶん届く。親と子の間の言葉は、声に出さなくても、届くことがある。
このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。親に「安定した仕事に就け」と言われ続けた経験がある人は、きっと少なくないはずです。
