節約を「趣味」と言い換えた日のこと

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節約を「趣味」と言い換えた日のこと

飲み会の自己紹介で

「ご趣味は?」

職場の飲み会で、恒例の自己紹介タイム。名前、所属、そして趣味。この「趣味」の部分で、私はいつも詰まる。趣味がないからだ。以前のエッセイで書いた通り、「読書」と答えるのが定番だが、もう少しバリエーションがほしかった。

その日、ふと思いついた。「節約ですかね」。

言ってしまった。節約が趣味。場の反応は、微妙に戸惑ったものだった。「え、節約?」「何を節約するんですか?」「すごいですね、堅実ですね」。

「堅実ですね」。この返しは優しい。堅実。節約を「堅実」と言い換えてくれた。ポジティブな解釈。ありがたい。だが実態は「堅実」ではなく「余裕がない」だ。余裕がないから節約している。節約しなければ生きていけないから節約している。それを「趣味」と言い換えた。

言い換えた瞬間、少しだけ楽になった。「趣味がない」と答えるよりも、「節約が趣味です」と答えるほうが、会話が弾む。「どんな節約してるんですか?」と聞いてくれる人がいて、半額シールの話やもやし料理の話をすると、笑ってくれる。笑いが取れる。笑いが取れると、場に馴染める。

「趣味:節約」は、コミュニケーションツールとして意外と使える。使えるからこそ、複雑な気持ちになる。

「趣味」と「必要」の境界

そもそも、節約は趣味なのか。

趣味の定義は「個人が楽しみとしている事柄」だ。節約を楽しんでいるか。半額シールを探すのは、確かにゲーム的な楽しさがある。もやし料理の新メニュー開発も、創造的な喜びがある。100均で掘り出し物を見つけたときの「やった」感も、楽しいと言えば楽しい。

だがこれらの「楽しさ」は、必要に迫られた結果の楽しさだ。節約しなければ生きていけない。生きるために節約する。節約の過程で、わずかな楽しさを見出す。この楽しさは、純粋な趣味の楽しさとは質が違う。

趣味のゴルフは、やらなくても生きていける。趣味の映画鑑賞も、やらなくても生きていける。やらなくても生きていけるが、やるから楽しい。自由意志で選んだ行為だから、楽しさが純粋だ。

節約は、やらないと生きていけない。やらざるを得ない行為に、楽しさを見出している。これは「趣味」ではなく「適応」だ。過酷な環境に適応するために、脳が楽しみを生成している。サバイバルの副産物としての楽しさ。純粋な趣味の楽しさとは、成り立ちが違う。

だが成り立ちが違っても、楽しいことは楽しい。楽しいなら、趣味と呼んでもいいのではないか。成り立ちを問わず、楽しければ趣味。この定義であれば、節約は趣味だ。

こうやって自分を納得させるのが上手になった。20年も経験を積むと、自分を納得させるスキルも上がる。納得させるスキルが上がったことは、成長なのか退化なのか。それは判断を保留しておく。

「趣味:節約」のメリット

「節約が趣味です」と言うことには、いくつかのメリットがある。

メリット1。「趣味がない」と答えるよりも印象がいい。「趣味がない」は、無趣味で退屈な人間に見える。「節約が趣味」は、堅実で計画的な人間に見える。同じ人間でも、答え方で印象が変わる。印象が変わると、コミュニケーションが円滑になる。

メリット2。共感を得やすい。物価高の時代、「節約」は多くの人にとって身近なテーマだ。「どうやって節約してるんですか?」と質問してくれる人が多く、会話が広がる。「実は半額シールを待つ技術がありまして」と話すと、「それ私もやります!」と共感してくれる人がいる。年収が高い人も節約に興味がある。経済力に関係なく通じる話題。

メリット3。自己肯定感が少し上がる。「趣味」と言い換えることで、節約行為が「やらされている」から「やっている」に変わる。受動から能動への転換。同じ行為でも、「仕方なくやっている」と思うより「趣味としてやっている」と思うほうが、精神的に楽だ。

「趣味:節約」のデメリット

一方で、デメリットもある。

デメリット1。嘘をついている感覚。節約は趣味ではなく、生存戦略だ。趣味と呼ぶことで、実態を糊塗している。嘘ではないが、本当でもない。このグレーゾーンに身を置くことが、わずかな罪悪感を生む。

デメリット2。「趣味:節約」が定着すると、「この人は節約好きだから」と周囲に認識される。その結果、飲み会で安い店を選ぶときに「○○さんが喜ぶでしょ」と名前を出される。節約キャラが固定される。キャラとして消費される。実態は「好き」ではなく「やむを得ず」なのに。

デメリット3。節約を楽しんでいるフリをすると、苦しさを訴えにくくなる。「趣味だから楽しいんでしょ?」と思われると、「実はつらい」と言えなくなる。趣味と自称したことで、自分の苦しさに蓋をしてしまう。

言い換えた日のこと

「節約が趣味です」と初めて言った日のことを、もう少し正確に思い出してみる。

あの飲み会は、新しい派遣先の歓迎会だった。周囲の正社員が「ゴルフ」「キャンプ」「ワイン」と華やかな趣味を語る中で、私の番が来た。

「読書」と答えるつもりだった。だが隣の人がすでに「読書」と答えていた。被りたくなかった。被ると「あ、同じですね」で終わる。何か別のことを言いたい。

一瞬迷って、「節約ですかね」と口から出た。計画的ではなく、咄嗟に出た言葉。出した瞬間、少し後悔した。「変なこと言ったかな」と。

だが意外と受けた。「節約! いいですね」「具体的にどんなことしてるんですか?」。質問が来た。質問に答えた。半額シールの話、もやし料理の話。笑いが起きた。場が和んだ。

あの日、「節約」が「趣味」に化けた。化けた瞬間、必要に迫られた行為が、語れる物語になった。物語になると、他者と共有できる。共有できると、孤独が少しだけ和らぐ。

節約を「趣味」と言い換えたのは、自己防衛であり、コミュニケーションの知恵であり、少しの自己欺瞞でもある。だが自己欺瞞でも、救われるなら価値がある。完全に正直であることだけが美徳ではない。少しの嘘が、日常を滑らかにすることもある。

あの日以降、「趣味は節約です」が定番の回答になった。使い慣れると、自然に出るようになった。今では本当に「節約が趣味かもしれない」とすら思う。長く演じていると、演技と本音の区別がつかなくなる。それでいい。区別がつかなくなったほうが、楽に生きられる。

「趣味」の定義を緩める

このエッセイを通じて言いたいのは、「趣味の定義を緩めよう」ということだ。

趣味は、ゴルフやワインやカメラのような、お金と時間のかかるものだけではない。日常の中に存在する小さな楽しみ——半額シールを見つけたときの喜び、もやし料理の新メニューが成功したときの達成感、100均で思わぬ掘り出し物を見つけたときの興奮——これらも、立派な趣味だ。

趣味のハードルを下げれば、「趣味がない」という人は減る。「趣味がない」苦しみから解放される人が増える。月に何万円もかける趣味だけが趣味ではない。0円の楽しみも趣味だ。

節約が趣味。散歩が趣味。図書館通いが趣味。半額シール探しが趣味。もやし料理の開発が趣味。どれも立派な趣味だ。お金がかからないからといって、「趣味」の資格がないわけではない。

そう思えるようになったのは、40代になってからだ。20代の頃は、「趣味がない」ことが恥ずかしかった。40代の今は、「何でも趣味にできる」ことが、ささやかな強みだと思えるようになった。強みと言うのは大げさかもしれないが、少なくとも弱みではなくなった。

このエッセイは、就職氷河期世代のひとりの個人的な記憶と感想に基づいています。節約を「趣味」と呼んだことがある人は、きっと少なくないはずです。

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